Beautiful Adventures

書きたい時に書きたい事を書いてゆきますが、スウェーデンのことが多めかもしれないです。

ラトビアで絶望した話(初めてのバルト三国1)

こんにちは!早いもので今年も後1か月ほどで終わりです。

 

そしてこの時期になると、去年から引き続き2年前のクリスマスの時期を頻繁に思い出します。

 

2016年12月下旬、スウェーデンではクリスマスホリデー真っ只中で大学が年明けまでお休みだったので、短期休みを使って、憧れていた旧ソ連の一部、バルト三国 (北から南の順でエストニアラトビアリトアニア) を一人で巡ることにしました。

 

巡ると言ってもそんな大それた冒険ではなく、各国の首都を少しでも見れたらなという程度です。当時はまだ人生で初めて日本を出国して4ヶ月しか経っていなく、色々な世界をとにかく見たいという気持ちでいっぱいだったので、広く浅くの姿勢でした。今でもまだまだ世界を見たいという気持ちが強いですが、行ったことある国にもまた行って今度は前よりじっくり見たいという思いが新しく芽生えました。

 

各国の首都は次の様です:

エストニア→タリン(Tallinn)

ラトビア→リガ (Riga)

リトアニアヴィルニュス(Vilnius)

 

タリンまではストックホルムから飛行機で、タリン~リガ、リガ~ヴィルニュスはバスで、最後にヴィルニュスからストックホルムは飛行機で移動し、旅程としてはタリンでは1泊2日、リガでも1泊2日、最後ヴィルニュスでは2泊3日でした。

 

今回綴るのは、その旅の中盤、ラトビアのリガに着いた直後のことです。リガの旧市街の散策の楽しいお話ではありません。こんなチッポケなことで絶望しちゃうの、と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、今までスウェーデンフィンランド、イギリス、といわゆる超先進国への滞在しか経験がなかったヤワな私にとっては大事件でした。

 

タリンでは美しいクリスマスマーケットや街歩きをフレンドリーな地元の人に出合いながら時を過ごし、浮かれ気分でリガへ向かうバスに18時頃に乗車しました。

 

難なく着いたのですが、真下の国と言っても国境を超えて都市に来るには4時間程かかったので、到着したのは22時頃でした。ということもあり、まだ開いているデパートの様な場所は照明が眩しいのに、人通りはないに等しく、雨の中車が走り去るだけで異様な光景でした。バスターミナルもバスタ新宿の様なものではなくこじんまりとしていて、私を含む他の降車客しかいません。

 

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ホステルに向かうためには地下通路を通らなくてはいけないので降りました。すると、壁一面に、私の勝手なイメージですがいかにも”旧ソ連”という感じの色をした絵が広がっていました。

 

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そもそもなぜバルト3国に憧れていたかというと、旧ソ連のノスタルジックな雰囲気に興味があったからです。エストニアのタリンではその空気感に浸りノスタルジーな気分になれて気持ち良かったのですが、タリンで感じたそれと、ラトビアのリガで感じたそれは空気の重みが何となくことなりました。少し重々しく心が疲れてしまう様な感じです。

 

とにかく深夜に人気もない状態でこの空気の中を歩き始めると、ここに一人で来るべきではなかったのではないか、と段々と怖くなり家族や友達の顔が次々と思い浮かび、今までのほほんと暮らしていた自分が羨ましくなりました。

 

中心街の周辺に着いても、道はあまり街灯で照らされておらず、今考えると特段おかしなことではないですが、店のショウウィンドウに腰掛けて、人通りは私以外ないのにバイオリンで短調の寂しげな曲を演奏する人がいたりと、とにかく全てが不気味で、早くホステルに着きたいと一心不乱でした。

 

やっとの思いでホステルを見つけ、ドアを開けようとしました。しかし、鍵がかかっています。まあセキュリティでロックしてるだけだろうと始めは簡単に考えていました。そこでチャイムがあったので押しました。しかししばらく待っても誰もやって来る気配はありません。もう一度押しました。でもやはり来ません。段々と怖くなり、大学から借りている電話でホステルに電話をかけようとしました。しかし、その電話はスウェーデンでしか使えないということをその場で知りました。最終的にドアを叩いてみましたがやはり無駄です。

 

ホステルに着くまで、早く取りあえず屋内に入って安心したいという気持ちでいっぱいだったのに、そんな願いもむなしく、今夜眠る場所は無いかもしれない、寒さで凍えて死ぬのか、とさへ思い始めました(当時はかなり焦っていたと思います。けれど、地理的に内陸からの冷たい風が吹いて、尋常じゃないくらい、下手したらスウェーデンより寒かったです(´;ω;`))。

 

しかしそれは絶対嫌だったので、どうにかして今夜安心して眠ることができる場所を確保したいととにかく必死でした。そして節約したいのでお金を使わない方法がベストです。

 

そこへ地元の人っぽい一人の女性が歩いてきました。この女性が行ってしまったらもう声をかけるチャンスが無い気がしました。私は一か八かで、こう話しかけてみました。

「予約したホステルに入れなくて今夜泊まるところがなくて困っているのですが、あなたの家に今晩だけ泊まらせていただけませんか」

と。(今考えると、とてもぶっとんだお願いでした(笑)真剣にお願いしている私を思い出すと笑っちゃいます。)

 

残念ながらその女性は地元の人ではなく、他のヨーロッパ出身の、私と同じ様に旅行者でした。しかし、彼女は私にこう言ってくれました。

「あなたを助けたい」

人生でこんな直球で真剣に助けたいと言われたことはなかったのは勿論、今まで怖い中ずっと一人だった私はこの言葉だけですごく救われたのに、彼女は自分が泊まる予定のホテルにもとりあえず一度一緒に行ってみましょうと私を連れて行ってくれました。

 

ホテルに着くまでの間に彼女に宿泊費を聞くと、そこまで高くはないけれど出費したら痛い金額でした。他にも、どこから来たのか、どうしてここを旅しているのか、など彼女に聞いたのですが、その時は今日寝る場所のことで頭がいっぱいで、話した内容を残念ながら何も覚えていません。

 

ホテルに着くと、彼女がチェックインしている傍ら、私は私の身に起こったこと、今晩このホテルに泊まれないかなどをリセプションの男性にすぐさま尋ねました。

 

すると、予想できなかった私もバカですが、予想もしない答えが返ってきました。

 

「まだこんな早い時間なのにホステルのリセプションが閉まっているなんておかしい」と彼は言いました。そういえば、私はホステルのリセプションはもう閉まっているとばかり思い込んでいました。

 

彼は私が持っていたホステルの電話番号に電話をかけ始めました。

 

そして、彼が電話の向こうの人とラトビア語で話し始め、解決した様な雰囲気を醸し出した時、私は、ああ、助かった、と思いました。

 

今戻れば入れるらしいので、電話をしてくれた彼と、そして、私を精神的に楽にしてくれ、シェルターを確保してくれた命の恩人の彼女に精一杯のお礼を言って別れ、足早に戻りました。

 

到着すると既に優しそうなオーナーがソーリーソーリー言いながら待ち構えていました(´;ω;`)。彼は、もう今日は宿泊者が来ないと思ってさっきまで寝ていたそうです。。。 当時は私の恐怖と苦労とは裏腹に笑いながらそう語るオーナーに対して、怒りというよりもう泣きつきたくなりましたが、本当にシェルターが確保できて良かった、という安堵感の方で一杯で、とりあえず早く眠りにつきたかったです。

 

しかしその直後に驚きがあって、部屋へ案内されたのですが、4人部屋で私以外皆男性でした。私は基本あまり女性専用にこだわらず、男女共有ドミトリーを選択したのでその可能性は十分あるに決まっていますが、他皆男性は初めてで少し緊張し、目が覚めてしまいました(笑)

 

幸運にも皆優しく受け入れてくれました。一人は忘れてしまったけれど、一人はアフリカのどこかの国から、そして一人はシンガポール人です。

 

シンガポール人の男性と特に話が弾みました。なぜなら、久しぶりに私と似た顔の人に出会えた安堵感もあったのですが、それより、彼はフィンランドタンペレ(Tampere)という都市で勉強していて、もう全て授業が終わったので帰国する前に旅をしていましたが、そこは当時の約2か月前に、私がムーミンの世界と紅葉を楽しむために首都のヘルシンキから電車で2時間かけて訪れた場所で、結構マイナーな場所だと思っていたので、なんとなく奇遇だったからです。

 

更に、まあ、彼はフィンランド、私はスウェーデンと隣同士の国々から来たのでそこまで驚くべきではないですが、旅ルートが同じでした(笑)なので、彼もエストニアからラトビアに来ていて、次はリトアニアに向かうという風です。唯一、私が次の日の夕方にラトビアからリトアニアに移動するのに対して、彼は朝早くもう旅立ってしまうというので少しずれ込んではいましたが。

 

楽しい時間を過ごして、ようやく眠りにつきました。波乱万丈で、精神的にも肉体的にもとても疲れたけれども、そのおかげで死んだようにぐっすり眠ることができて、翌日のリガ散策のための体力チャージになりました。

 

翌日外へ出て見渡してみると、昨晩同じ場所にいたとは思えない程ごく普通のヨーロッパの街という感じで(勿論新鮮な旧ソ連の街並み感はありますが)、あんなに恐怖を感じたことが信じられませんでした。

 

バルト三国は世界でも、ヨーロッパの中でも安全な方です。しかし、スウェーデンでもフィンランドでも前日のエストニアでも夜一人で楽しく歩いていましたが、恐怖を感じたのはこれが初めてで、浮かれていた自分の身も引き締まり、新しい世界を知りました。

 

しかし、おかげで声をかけた女性の様な人の優しさや、ホステルでの男性との楽しい出会いに触れることができたので、全く後悔はしていません。直後にまた同じ様な恐怖体験をするのですが、それはまた後程。。。

 

その後も何か国か旅をするのですか、バルト三国の回を含めて後になって一様に思ったのは、案外困っている時に自分から助けを求めると、周囲の人は何とかして助けようとしてくれるということです。

 

後日談があって、私はリトアニアの旅を終え、ヴィリニュスの空港で飛行機を待っていると、見覚えのある人とばったり正面から会いました。なんとそれは、ホステルで出会った、シンガポール人男性だったのです!

 

ルートは全く同じだったものの旅程はずれていたので、出会えた時はまさかと思いましたw お互い搭乗まで時間がないと思っていたら、彼はフィンランドに帰るのですがストックホルムでトランジットがあり、なんとストックホルムまでは同じ飛行機でした( ;∀;) 偶然が重なりすぎて驚きました。

 

飛行機の席は離れていたので話せたのは旅の中の本当に少しの時間でしたが、それでも少しでも楽しい時間を与えてくれた彼と出会えて良かったですし、アジア人の私たちが8000キロも離れたヨーロッパの地で友達になり、今はどちらもアジアに住んでいるということが、なんか遠回りな感じがして面白いです。

 

これで終わってしまっては全くラトビアの魅力が伝わってないので、今後旅の内容について詳しく書こうと思います!

 

最後に!こちらは次の日に、Apsara Tea Houseという伝統的なお茶を提供していて、地べたに座りながらティータイムを楽しめる全面ガラス貼りな円柱状のカフェでのチョコレートケーキ💓


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